この14年半の間、わが家の原動力であり、かけがえのない宝ものだったもねさんが、15日午前4時ごろ、静かに息を引き取った。
変性性脊髄症(DM)を発症してから4年超。
症状が進行しながらも、期待以上の粘りを見せ続けてきたもねさん。
最後だけ急だったが、もうちょっとがんばって欲しかったなんて言っちゃいけないよね。
14日夜、ドライフードに鶏がらスープをかけた夕ごはんを、口にスプーンで入れてもらいながらだけどしっかり食べ、お刺身もパクパクと食べた。
立派なウンチも出た。
まさかその夜、急変するとは思いもしなかった。
いつもの夜と同じように時々「アゥアゥ」と騒ぐので、そのたびにもね母が抱っこしたり寝返りを打たせたりしていた。
最後に寝返りを打たせたのが午前3時半。
4時半ごろ、もねさんのお腹が動いておらず、呼吸が止まっているのにもね母が気づいた。
身体はまだ温かく、一見、普通に寝ているようだった。
だが、口を開けると舌が紫色に変色し、コットがオシッコで濡れていた。
慌ててワシはもねさんのマズルを口にくわえて、鼻から息を吹き込み人工呼吸をした。
もね母も胸部を押して心臓マッサージを試みた。
でも反応はなかった。
仮に蘇生に成功したとしてもDMが治るわけではない。
もねさんが逝ってしまったという事実を受け入れるしかなかった。
いつ急変してもおかしくないと頭では分かっていた。
でも、3年程度とされるDMの生存期間を乗り越え、「何とか年越しを」「もう一度、雪遊びができるまで」「もう一度、みんなで一緒にお花見ができるまで」というワシらの勝手な希望を次々とかなえてきてくれたもねさん。
このまま夏も乗り切れちゃうかも、とちょっと期待していた。
今にして思えば、最近少し食欲が落ちていたのが兆候だったのかもしれない。
以前は首を支えてあげれば必ず自分で食べていた。
それが、スプーンで口に入れてあげないと食べないことが増えていた。
ご飯を目の前にしてもなかなか目が覚めないことが多くなっていた。
血中酸素濃度が低下して、少しずつ意識レベルが下がっていたのかもしれない。
数日前から目の瞬膜が少し出たままになっていた。
片目だけだが、1週間ほど前にいったんなり、1日ほどですぐに治ったが、2日ほど前から再び発症していた。
何日か治らなかったら病院で診てもらうつもりだったが、もしかしたら脊髄の変性が進んでいたことを示していたのかもしれない。
今日、ワシともね母とココで見送った。
いまは小さな骨壷に入っている。
もねさんのいた場所がポッカリと空いて、家の中にスペースができてしまった。
北海道から沖縄まで、いろいろな所に一緒に行った。
海でも雪山でも、どこででも一緒に遊べた。
毎週のように出たフリスビーの大会では悪コンディションの時ほど頼りになるパートナーだった。
強くて優しいもねさんは、いつもワシの誇りだった。
もねさんはワシらと一緒で幸せだったかなぁ?
麻痺が進んで首から上しか動かなくなったもねさんが、何か言いたげにワシの顔をウルウルした目でじっと見つめていた様子が目に浮かぶ。
ワシはもねさんと暮らせて本当に幸せだったよ。
もね母も同じだと思う。
ありがとな、もねさん。

コメント
“もねさんが静かに旅立った” への15件のフィードバック
悲しくて涙が止まりません。
もねちゃん、本当によく頑張ったね。
安らかに眠ってくださいね。
ロビンがそっちに行ったら仲良くしてね。
ココ爺さんももね母さんもお疲れがでませんように。
ご冥福をお祈りいたします。
ココ爺さま ごぶさたしております。
もねママから連絡をもらって、とてもショックを受けました。急でしたね。
不自由な身体でも、カートに載って気持ちよさそうにしているもねさんの姿を見て、大事にされてるんだなと思ってました。
こちらが幸せなんだもの、もねさんも間違いなく幸せに過ごしていましたよ。
3月にポンチが虹の橋を渡った後に、もねママが来てくれて、もねさんに会えて、本当に良かった。感謝しています。
もしかしたら、ポンチが遊びに来て、もねさん追いかけて行っちゃったのかしら?
きっと虹の橋の向こう側で、ドロドロになってプロレスごっこや追いかけっこしていそうな気がします。
きっときっと寂しくないですよ。
もね家は寂しくなっちゃったけど、これからもココちゃんと楽しく過ごして下さい。
悲しみは乗り越えられます。もねさんをあまり心配させないようにしないとね。
そんな私もまだポンチの白い骨壷とお別れできないでいます。
笑顔がとっても素敵なもねさん。
もね母さんとココ爺さんの気持ちを考えると、胸が熱くなります…
一緒に日本各地いろんな所に行ったり、山のおうちでいい空気吸って、お花見に出かけたり、おいしいもの食べたり。家族一緒の時間をいっぱい楽しんだことでしょう。
しばらく寂しいかもしれないけど、私たちもいつかあっちの世界に行くので、その時にまた会えますね。くーがガウってしまうかもしれないけど、許してね。
ゆっくり休んでください…
初めまして。いつもブログ拝見しておりました。
先月、DMと思われる症状の15歳のコーギーを見送りました。
車椅子のHPでこちらを知り、DMという病気を知り、お世話の仕方を勉強させていただいておりました。
もねちゃんのお世話の様子を拝見するたびに、自分の力不足さを痛感し、「もっとお世話してあげなきゃ」と奮い立たせていました。うちの子を無事見送ることができたのもこちらのブログのおかげです。本当にありがとうございました。
勝手ながら、もねちゃんと共に戦わせていただき、またうちの子を見送ってからはただただ1日でも長く幸せな日を過ごして欲しいと願っていました。
僭越ながら、もねちゃんはとっても幸せだったと思います。
ブログでDMの情報を公開いただき、ありがとうございました。
前回こちらを覗いた時は、まだ元気で頑張っていたもねさん。
安心して、しばらく来ない間に・・・びっくりしました。
本当にお疲れ様でした。もねさんも凄い頑張りだし、それを支えるココ爺&もね母。
我が家の目標でした。
もねさんは、最高に幸せな犬生だったと思います。
だから、こんなに長く頑張れたのだし、穏やかに旅立つ事が出来たんだと思えます。
思えば九州の大会だったかな?
表彰式でエリスともねさんがお互いガウって、記念撮影が狛犬状態になったこともありましたね。
今では微笑ましいいい思い出です。
一足先に旅立ったもねさん、いつかはみんなそちらに行くので、
その時はエリスとも仲良く遊んでやってね。
時が経って余計に寂しさや悲しみがこみ上げる事と思います。
ココちんも寂しいでしょうね。
くれぐれもお体に気を付けて、少しずつでも笑顔を取り戻し穏やかな日々を過ごせますように。。。
合唱!
初めまして。度々拝見させていただいていました。
2年半前にモネちゃんと同じDMでうちのモモは虹の橋へと旅立ちました。
発病後1年半程度で、車いすに乗せてあげることもできないままでした。
そして去年の6月縁あって被災犬の里親となりました。
その子レオもDMです。レオは後ろ足は完全にマヒ状態で、車いすを使っています。
もうすぐ11歳。モネちゃんが目標です。
いつも拝見していて、モネちゃんに注がれた愛情の深さを感じていました。
モネちゃん本当に頑張りましたね。
お疲れ様でした。
それからココ爺さんモネ母さんもお疲れ様でした。
いまはただご冥福をお祈りいたします。
もねさんへ
ありがとう。
もねさんの笑顔を見ると、笑みがこぼれた。
もねさんの笑顔を見るのが楽しみだった。
カイが微笑みかけてくれているようで、救われたんだ・・・。
今はとても悲しくて、寂しくて、残念で・・・・。
でも、長い間よくがんばったネ、スゴイよ。
これからは、ココちゃん、パパさん、ママさんを見守っていてね。
本当にありがとう。
もねさんは本当に幸せな犬生だったと思います。
ココ爺さん、もね母さん、どうぞゆっくり身体をやすめてください。
もねさん、安らかに・・・・合掌
みなさま
もねの遺骨とともに山に来ています。
前回まではあれほどカラカラ天気続きだったのに、ようやく梅雨らしい本格的な雨が降っています。
もねを失った悲しさは日々薄れていくのでしょうが、もねの記憶が薄れるぐらいならこのままずっと悲しいままでもいいかな、なんてしょうもないことを考えています。
コメント、ありがとうございました。
多くの人に思っていただき、もねも喜んでいると思います。
>ロビンママさま
もうちょっとロビンくんと一緒にがんばりたかったです。
いつもいつも暖かいコメントをありがとうございました。
ロビンくんはまだもねのところに行かなくていいからね!
>ポンチ姉さま
ポンチが行っちゃってからそんなに経っていないのに、もねのことまで気遣っていただいてすみません。
東高根、懐かしいです。
ホントにあの頃のように、みんなで走り回っていてくれればいいなあと思います。
>よんきち@くーの飼い主さま
DMになってからはあまり出かけられなくなってしまいましたが、この十数年間、もねは本当にわが家の原動力でした。
いなくなって、その存在の大きさをあらためて感じています。
>名古屋のもねちゃんファンさま
恐縮です。
お役に立ったとすれば、それはもねのおかげです。
もねに尻を叩かれて、いろいろやっていたに過ぎません。
不治の病になっても人間のように悲観したりしなかったもねの強さが、飼い主をも救ってくれました。
>みさきさん
鹿児島時代、楽しかったなぁ。
フリスビーの大会でエリスたちと頑張ったこと、ほんとうに懐かしいです。
介護は正直言って「頑張った」という感じはなく、ぜんぜん苦じゃなかったです。
もねの心が強かったからだと思います。
だんだん体が動かなくなっても、めげることなど全くなく、心は最後まで元気なままでした。
ぞうさんにもよろしく。エリス、ピースたちとなるべく長くみんな一緒にいられるよう祈ってます。
>モモ&ジュリパパさま
ありがとうございます。
前回お会いしたのは、もねが車いすなしでもなんとか歩けたころですよね?
早いものでそれからもう3年半も経ってしまいました。
またどこかでお目にかかったらよろしくお願いします。
>るもさま
DMコーギー2頭目ですか。
頭が下がります。
大してお役に立てないかもしれませんが、なにか知りたいことがあったら、遠慮なく聞いて下さい。
ブログの左下の方にメールフォームを設置してあるので、よかったらご利用下さい。
ありがとうございました。
>カイママさま
もねへの暖かいコメント、ありがとうございます。
もねに代わってお礼申し上げます。
カイくんが亡くなった後、「温もりが懐かしい」ということを書かれていましたが、同じことを今、ヒシヒシと感じています。
もねの体はなくなってしまったけど、その魂は私ともね母の心の中で生き続けます。
ほぼはじめましてになります。
昔、もねちゃんともね母さんと相模原の公園でのオフ会でお会いしたことがあります。
それから、時間が過ぎ、DMについて情報を知りたく検索した時に
こちらのブログにお邪魔しました。
DMの進行がゆっくりな点がすごくうちと似ていて、
コメントを残すことなく、失礼ながらたくさん参考にさせていただいてました。
すみません。。
少し先を行くもねちゃんに「まだ頑張れる!」と励まされてました。
うちも、発症と思われる時期から4年経ちましたが、もねちゃんも頑張ってる!
まだまだ大丈夫!!と勝手に思っていた矢先の突然の旅立ちに、
お別れって本当に来てしまうだなぁと怖さをひしひし感じています。
もねちゃん、足が不自由になってきてしまってからも、たくさん楽しい事が出来ましたね。
もねちゃんの楽しそうな笑顔とココ爺さん、もね母さんのもねさんに対する愛情、
アイディア、そしてココちゃんの明るさにたくさん学ばせて頂きました。
ありがとうございました。
そして、もねちゃんのご冥福をお祈りいたします。
もねココ家の皆様お久しぶりです。ふと気になって・・・今さっきもねちゃんの旅立ちを知りまして正直、言葉になりません。
大会ではロビの先にはもねちゃんチームがいて、うちがシニアになっても頑張れたのも、もねちゃんがいてくれたこそです。
水戸でのファイナル、大型犬に混ざりもねちゃんとロビのシニアチーム、頑張りました!
もねちゃん♪沢山の楽しい思い出をありがとう。ロビが天国に先に行ってますので、仲良くしてやって下さいね。また必ず逢いましょうね♪
ココ爺さん、もね母さん、お久しぶりです。
いつももねさんのがんばりをブログを通じて応援していました。
もねさん、山に行けたかな?とブログをのぞきに来て、訃報を知りました。
とても、とても残念です。
もねさんのがんばり、フリスビーのがんばりに通じるものがありましたね。
諦めず、頑張り抜く姿、忘れません。
もねさん、ありがとう!
眠っているかのような、きれいなお顔ですね。
幸せだったのがよくわかります。
心よりご冥福をお祈りします。
>あき@たんそっくさま
もえもこちゃん!
相模原のオフ会、もね母もよく覚えているそうです。
そして、ふたりともDMとは…
もねは、もしかしたら夏も越せちゃうかも、と期待していたのですが、行っちゃいました。
もえちゃんも4年超えましたか!
根拠はないですが、いろんなところに連れ出して、刺激を与えたほうがいいんだと思います。
もこちゃんも心配ですが、自信を持ってがんばってくださいね。
>ロビ母さま
お久しぶりです。
懐かしいですね~
毎週毎週、よく飽きもせずあんなに参加しまくったのものです(^^;)
もねにも感謝、ロビにも感謝、ほかのみんなにも感謝の言葉しかありません。
またどこかで会いましょう!
>ロッシママさま
ありがとうございます。
もねはガッツのある犬だったからね~
フリスビーでがんばったように、寝たきりになってもヘコタレませんでした。
美化しちゃっているかもしれませんが、最後まで立派な犬でした
ロッシたちは元気にしてますか?
大事にしてあげてくださいね~
ヘルニアかと思っていたらDMと診断され
検索していたらここにたどり着きました。
なんか…懐かしいお名前がちらほら…
もねさん。頑張ったんですね。
うちの文太も初期症状が出てから1年、なんとかかんとかアザラシの様に自力で散歩しております。
もねさんとご家族の頑張りを見習って
私も文太も頑張って生きたいと思います。
ぶんままさま
コメント、ありがとうございます。
もねさんへのコメントを久しぶりにいただき、楽しかった日々を思い出しました。
体の麻痺があっても、やれることはいくらでもあります。
文太くんといっぱい遊んであげてください。
お大事に。